LOGIN「違うっ! 確かに、私の……“俺”の弱さのせいで、母さんは死んだ! 二度とはもう戻らない。だがっ!」
「だが? ほほう、ハンノキの王の世界に連れ去れば、愛する者は傷つかずに済むとでも?」「そうだ! この世は、争いとエゴに満ちている。肉体がある限り、苦しみはなくならない! どんなに、心が美しくとも、いずれは傷ついて――」「待つがよいっ!」すかさず、横合いからバージル殿下が隙をつき、一太刀!
切り払ったのは、ローラント殿の半身を覆い尽くさんとする、黒い茨。「私は、傷つくことを恐れないぞ! ローラントっ!」
「くっ!? 殿下っ!」「聞け、私は融通が利かない石頭だ!」「……はあ?」唐突に、バージル殿下が叫んだ。
あまりに的外れで、あまりに自虐的。誰もが、呆気にとられた。 けれど、それこそが――この一件を通し、バージル殿下なりに悩み、出した、不器用すぎる答えだった。「そこまで、周りから煙たいと思われているとは知らなかった! ああ、空気も読めないとも! 乙女心も、臣下の気持ちも、察せられない愚かな男だ! おまけに人を見る目もないっ!」
腹心に裏切られ、疑いの眼を向けた者たちは、逆に軒並み味方だった殿下。
自分の無力さを、これでもかというほど思い知らされた、この夜。それでも、殿下は未だに腐らず、なおも真っ直ぐに、ローラント殿に向き合おうとする。茨が殿下の頬を掠め、鮮血が舞う。それでも、殿下は一歩も退かない!
「だがな、そんな愚かな男でも、民が抱える苦しみを背負い、友の悲しみに寄り添う覚悟くらいはあるのだぞ! 私を甘く見るなッ!」
「……そのような覚悟は、なくても良いのです。平穏な魂の世界ならば――」「葛藤のない世界に、勇気や気高さを発揮する機会などないっ!」「――っ!?」バージル殿下は、どこまでも古風な人だった。頭でっかちのどうしようもない理想主義者。
でも、だからこそ――まっ「だが……ハンノキの王から、受けた恩義が……俺には」「忌々しいが……魔王は確かに、そなたが人生で最も苦しい時、一縷の救いとなったのだろう。だがな、ローラント。そなたがいなくては、こんな私は王子として格好がつかぬではないか」「……殿下」「だから、そなたが美しいと感じた人々が生きる、この傷だらけの世界で。この頑固者の弱さを……どうか、背負ってくれまいか。そう、友として」 バージル殿下は、手を差し伸べる。殿下は、王太子としてではなく、友として懇願した。 あえて、己の弱さを……情を、無防備に曝け出したのね。「ああ……バージル殿下。貴方様は、本当に『お強い』……」 ローラント殿の目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。 彼が、最初に仕えたのは、ハンノキの王だったかもしれない。でも、だからといって、これまでのバージル殿下への敬愛も、友情も、偽りではなかったのよ。 ――しかし。 異界の王は、一度手に入れた騎士を、そう易々と手放そうとはしなかった。 ギチギチギチッ……! 空が裂け、そこから覗く巨大な“異界の瞳”が、裏切り者を許さじと、爛々と開かれる。すると、ローラント殿の体を蝕む茨が、彼の意思を無視して暴れ出したわ!「ぐあああああっ!?」「ローラント!」「殿下っ! ベアトリーチェ様っ、お逃げくださいっ! 俺は……もうっ!? うぅぐぁああああっ!」 茨が、ローラント殿を異界へと引きずり込もうとする。膨れ上がる禍々しい力、為す術はないかと思うほどの勢い。 伸びた茨は暴れまわり、近づくものを吹き飛ばしていくっ!「ダメよ、ローラント殿! あなたとの約束が、まだっ!」 その時、ふわりと髪に飾られた、真紅の薔薇が仄かに灯った。イヅルが
「違うっ! 確かに、私の……“俺”の弱さのせいで、母さんは死んだ! 二度とはもう戻らない。だがっ!」「だが? ほほう、ハンノキの王の世界に連れ去れば、愛する者は傷つかずに済むとでも?」「そうだ! この世は、争いとエゴに満ちている。肉体がある限り、苦しみはなくならない! どんなに、心が美しくとも、いずれは傷ついて――」「待つがよいっ!」 すかさず、横合いからバージル殿下が隙をつき、一太刀! 切り払ったのは、ローラント殿の半身を覆い尽くさんとする、黒い茨。「私は、傷つくことを恐れないぞ! ローラントっ!」「くっ!? 殿下っ!」「聞け、私は融通が利かない石頭だ!」「……はあ?」 唐突に、バージル殿下が叫んだ。 あまりに的外れで、あまりに自虐的。誰もが、呆気にとられた。 けれど、それこそが――この一件を通し、バージル殿下なりに悩み、出した、不器用すぎる答えだった。「そこまで、周りから煙たいと思われているとは知らなかった! ああ、空気も読めないとも! 乙女心も、臣下の気持ちも、察せられない愚かな男だ! おまけに人を見る目もないっ!」 腹心に裏切られ、疑いの眼を向けた者たちは、逆に軒並み味方だった殿下。 自分の無力さを、これでもかというほど思い知らされた、この夜。それでも、殿下は未だに腐らず、なおも真っ直ぐに、ローラント殿に向き合おうとする。 茨が殿下の頬を掠め、鮮血が舞う。それでも、殿下は一歩も退かない!「だがな、そんな愚かな男でも、民が抱える苦しみを背負い、友の悲しみに寄り添う覚悟くらいはあるのだぞ! 私を甘く見るなッ!」「……そのような覚悟は、なくても良いのです。平穏な魂の世界ならば――」「葛藤のない世界に、勇気や気高さを発揮する機会などないっ!」「――っ!?」 バージル殿下は、どこまでも古風な人だった。頭でっかちのどうしようもない理想主義者。 でも、だからこそ――まっ
なぜか、わたくしの高笑いで……ローラント殿の動きが、わずかに鈍る。 よくわからないけど、効いてるわっ!「あなた、自分が何をしたか分かってますの!? ヒュプシュ卿を傷つけ、殿下を悲しませ、あまつさえ、“わたくしのイヅル”にまで手を出すなんて! 万死に値しますわよ!」「それがなにか? 私は、情を断ち切ったのです。主君への敬愛も、友情も、貴女様への……思慕も。ハンノキの王への恩義のために。勝利のために」「バカおっしゃい! 何が勝利よ! 何が『情を断つ』よ!」 わたくしは、扇をバシッと閉じて、彼を指さした。「“真の己”ですって! 情を持たないことが? 違うわ、あなたは空回りばかりしているけど、いつも真っすぐで……それこそが、本当のあなたなんじゃなくて? 剣術を鈍らせるほどの、優しさこそが!」「だとするならば、その“本当のローラント”という男が、この世に不要だったのですよ」「なっ!? なによっ、それがボイズ家の家訓だとでもいうのかしらっ!」 イヅルが刃を止めれば、他の方向から雨あられと弾幕がローラント殿に迫り、拮抗する時間がもたらされる。 わたくしは、皆様が作ってくれたこの時間で――この心の戦いに勝つっ!「家訓。まあ、そうかもしれませんね」 なおも、ローラント殿は、息一つ乱さない。「亡命者の一族など、後ろ盾がなければ、ひどいものです。……私は、そんななかで生まれた使用人の子でした」「使用人の子? ……今や、護衛騎士筆頭なのに?」「ええ、そうです。実子として、認知だけはされましたが……物心ついた時から、『女に生まれれば、政略結婚に使えたのに』と、父や兄たちから、不要な男子として虐げられて育ったのですよ」 想像だにしていなかった言葉だった。ローラント殿が育ってきた背景。「そんなの…&he
空からの魔術の雨、鴉天狗衆の技、ありとあらゆる攻撃が、ローラント殿に殺到する。同士討ちを恐れないほどの波状攻撃。 だが、なおも――ローラント殿には届かない。 剣は、正確無比で慈悲がなく。あらゆる攻撃を最小限の動きで捌き、カウンターの一撃で、確実に急所を狙ってくる――それも、天を断つほどの斬撃がっ! 今までの戦いが、お遊びレベルだったのだと、思い知らされるほどの、絶望的な実力差。「ぐあっ!」「しまっ――!?」 次々と落ちていく騎士、吹き飛ぶ鴉天狗衆。バージル殿下とヒュプシュ卿も、防戦一方だ。 そこに唯一、正面から食らいついていくのは、ただ一人。わたくしの執事イヅル・キクチのみ。「ほう? やはり、ただの執事ではなかったようだ」「クッ、興味深いですね。いつから、この私めの……否、“我”の力量に気付いていたと?」「最初からですよ。そう、一目見た時から、です」 顔半分を茨で覆われたまま、ローラント殿は視線を走らせる。「執事殿。貴方は、常に裏で我々を追っていた。いいや、バージル殿下とベアトリーチェ様の婚約以前から、この国で暗躍していた。違いますか?」 だが、イヅルは答えない。二刀の短剣で、猛攻をしのぎ肉薄する。 ヒュプシュ卿は、絶叫した。「魔王の――ハンノキの王から授かった異能で、戦うことがそんなに誇らしいか、貴様っ!」 だが、ローラント殿は冷ややかだ。「それは違いますよ、ヒュプシュ卿。これこそが、真の実力です」「なんだとっ?!」「かの王が下さったのは――『情を断つ』力。情に惑わされない“真の己”になれるというだけの力です」 意味を理解するまでに、数瞬を要したわ。「つまり。今までの、私の剣術自体が――無意識に手加減をしていた、ということですよ」 繰り出された剣閃は、石畳を砕き、空を走り、兵を蹴散らす。これが、純粋な剣術によるものだというの? 信じられないわ! でも、だか
天文塔の屋上。巨大半球状のドームが、ゴゴゴ、とさらに重々しい音を立てて開かれていく。 すると、満天の星空を埋め尽くす、グリフィン空挺部隊の影。 塔の外壁からは、イヅル配下のキクチ勢『鴉天狗衆』が、蜘蛛のように這い上がり、包囲網を完成させていくわ。「シャーデフロイの、私設空挺騎士団……!」 ヒュプシュ卿が、呆然と呟いた。 グリフィンに騎乗した精鋭たちが、旋回し、今にも降下せんと見下ろす。「……お母様」 わたくしは、この戦力を誰が率いているのか、直感的に察した。パパが王都に来ている以上、その権限がある人物は、他にいないもの。 イヅルが、わたくしの隣へ駆け寄って、そっと腰を抱く。「ビーチェお嬢様。為すべきことをなさられたようで」「あなたもね、イヅル。……わたくしを、助けに来てくれたのね」「お嬢様の危機に駆けつけるのが、この専属執事たるイヅルの務めにございます。ましてや――」 こちらを流し目で見つめて来る、イヅル。「このクライマックスを見逃すほど、節穴ではありませんので」 するとバージル殿下が、キッと睨みつけて来る。「おい、貴様! 我が婚約者にべたべた触れるな! 不敬だぞ」「その婚約者をないがしろになさった、御方が何をおっしゃるか。ましてや、ダンスの順番すらも、待たずに去られたのに」「アレはッ、その、急ぎの知らせが来たから、席を外したまで……で。そもそも、婚約者を後回しにして、ダンスを踊る方がどうかしてるぞ!」 もうっ、そういう口喧嘩をする場面じゃなくってよ、お二人とも。 呆れの溜息を吐きながらも、わたくしはローラント殿へ宣告したわ。「もはや、逃げ場はないわ。誰の目にも明らかな、チェックメイトよ。ローラント殿」 だけれど。 血まみれの剣を下げたまま……ローラント殿は、静かに優しく、微笑んでいた。「――素晴ら
「貴様は……ベアトリーチェの、執事か!?」 確か、名前はイヅル・キクチ。 常に婚約者ベアトリーチェに纏わりつく、下賤な男。そう、実はバージルはこの男が、一目見た時から、不愉快だった。 ……婚約者の身でありながら、ベアトリーチェが一人の男を四六時中侍らせているその有様が。遥か東の地より来たという、この得体の知れない毛色が。「執事がなぜ、ここにいる?」「フム。あえて言うならば、“すべて、我らの手のひらの上だったから”と言ったところでしょうか」 怪訝に思ったバージルが、その意味を問おうとした時、そこにとうとう雪崩れ込んできたのは、武装した兵たち。 「ようやく見つけたぞ! ハンノキの王の贄となれ!」と叫びながら、侵入して来るが。「静粛に。今は、“我”がこやつと話しているのだ。……三下如きが口を挟むな」 イヅルは、襲い掛かる刺客へと、苦無で牽制したかと思えば、流れるように関節を極め、骨を砕き、意識を刈り取っていく。(この者は……ただの執事ではない!?) 倒れ伏した兵たちの姿。思い返すは、『図書館事件』の夜。街で見つかった、謎の戦闘痕跡。「まさか、あれは貴様がやったことだったのか?」「バージル殿下。感心している時間はございませんよ」 背を向けたまま、淡々と告げるイヅル。「現在、マティルデ・ファン・シャーデフロイ夫人が、王都近隣に『空挺部隊』を率いて潜んでおります」「はあ? マティルデ夫人だと? それも空挺部隊など、バカを言うな。一介の貴婦人が私兵を率い、王都の空を制圧するなど、正気の沙汰ではない。それはもはや反逆罪にも問われうる行為だぞ!」「この状況で何を言うやら。合図を送れば、直ちに介入が行われ、この混乱は鎮圧されるでしょう。ですが、それには今少し、準備が必要なのです」 どう聞いても、正気ではない。 仮に、かつて我が国が戦ったという仇敵。あの&l







